2012年05月23日

棺を蓋いて定まる

ちと長いが引用



政治を弔うということ

ナショナリズムについて書いたら、午後に毎日新聞から「当今の若者の政治行動について」インタビューを受けた。
おおシンクロニシティ。
どうしていまの若者たちは言説レベルではあれほど排外主義的なのに、実際行動として政治党派を結成するとかデモをするとかしないのでしょう・・・というお訊ねである。
もちろんそんなめんどうなことを彼らがするはずがない。
書いたとおり、彼らは「グローバリゼーションの申し子」だから、「できるだけコストをかけずに最大の利益を上げる」ことを生きる上での基本原則として教え込まれている。
しかるに政治運動というのは、若い人もおそらく直感的にわかっているだろうが、その全行程の90%以上が「ぱっとしない日常」なのである。
運のいい政治運動の場合は10%程度の「祝祭的高揚期」に恵まれる。
その時期には「祭りだ祭りだ」と有象無象がわらわらと寄ってくるので、一時的ににぎやかになる。
しかし、あらゆる政治運動は、どれほど綱領的に整合的でも、政治的に正しくても、必ずいつかは「落ち目」になる。
これは歴史が教える永遠の真理である。
しかし、政治運動が歴史的事象として記憶され、知的なリソースとして後代に活用されるためには、この「落ち目の局面」を粛々とになう「後退戦の将兵たち」が必要である。
ある政治的運動の歴史的な価値は、祝祭的な場面における動員数や、そこで破壊されたものの規模によってではなく、「非祝祭的後退戦」を黙々と担う「弔い役」の仕事のていねいさによって決まるのである。
「棺を蓋いて定まる」と古諺に言うとおり、人の世の出来事はすべてが終わり、「がたん」と棺の蓋が閉まったときにはじめてそれが何であったかがわかる。
誰もがその思想や運動に見向きもしなくなったとき、こつこつと「後片付け」をする人間がどれだけていねいにその仕事を果たすかで、その価値は決まる。
東大全共闘は政治運動としてある種の完結性をもつことができたと私は思っているが、それは山本義隆という個人が「弔い」仕事を引き受けたからだ。
痩せて疲れ果てた山本義隆が1974年の冬、東大全共闘最後の立て看を片付けているとき、彼の傍らにはもう一人の同志も残っていなかった。
冬の夕方、10畳敷きほどある巨大な立て看を銀杏並木の下ずるずるとひきずってゆく山本義隆の手助けをしようとする東大生は一人もいなかった。
目を向ける人さえいなかった。
法文一号館の階段に腰を下ろしていた私の目にそれは死に絶えた一族の遺骸を収めた「巨大な棺」を一人で引きずっている老人のように見えた。
東大全共闘はひとりの山本義隆を得たことで「棺を蓋われた」と私は思っている。
ナショナリズムでもフェミニズムでも、政治運動である限り、それはいつか退潮期を迎える。
そのときに「イズムの弔い」を引き受ける覚悟のある人間がいる政治運動はそのような「オーラ」を前倒しで帯びることになる。
「その政治運動が没落したときに見捨てない人間がいる」という未来の事実が、現在のその政治運動の質を担保するのである。

http://blog.tatsuru.com/archives/001693.php

出が極左なんでこんな文の引用になってしまうが
ここに出てくる「政治運動」と言う言葉を「レース活動」に置き換えて貰いたい

紆余曲折がありつつ俺自身が10年間関わった、極々小さな草レースに関して
何処かで記録として残したいと云う燻り続けた小さな火種が
この文章とECD氏の書籍に影響を受けた事により再びささやかながら火を灯しました

俺が東大全共闘の山本義隆氏の様になれるとは言わないが
一時期ではあるが全力を傾けたレース「SRフロンティア」の存在が
このまま時の流れの中で忘れ去られ消えていくのを座視して行くことは堪えられないと云う気持ちは
常々燻り続けていたし、これらを記録していた動画、画像、そして宝物の様な経験を
沢山所有している自己認識は 記録に残せていない事実の後ろめたさと共に抱えていました

昔のようにモチベーションを上げて更新はできないかもしれないが
どれだけ時間が掛かっても手持ちの動画、画像、そして拙い文章によって
当時の記録を残して行きたいと今は思ってます

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posted by tetsutaro499 at 23:56| Comment(156) | つぶやき・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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